東海道五十三次 第八回目 [東海道五十三次]
朝4:30に家を出発、5:30に友人をピックアップして東名に。
御殿場で初めて新東名に乗ってみる。 確かに今までの東名と比べて走りやすい。 新しい道路にしては、ちょっとピッチングが多い気もしたけど。
1時間半程で島田金谷を降りて、金谷駅の近くに一つだけある駐車場へ車を停める。
金谷駅のガード前にある一里塚から出発。
ガード下をくぐる。
くぐってから少し歩くと石畳の入り口に。
この石畳は結構良い感じの雰囲気だ。
ここの石畳は滑りづらいとの事で、すべらず蔵がある。 受験とかのお願いが出来るらしい。
石畳を登っていくのだけど、そこそこきつくて、すでに汗だくだ。
石畳を登ると今度は下りの石畳。
この菊川坂の入り口右側を見ると「茶」の文字が。
そこから菊川坂を下る。
この丸い石が膝と足首に結構なダメージを与える(笑)。
春らしく石の間から草が伸びている。 ほっておかれたら数年経てば埋もれちゃうのかな。
菊川坂を降りていくと、間の宿、菊川がある。
間の宿にしては結構綺麗にされている感じで良い雰囲気だ。
菊川を通り過ぎると、今日第二の坂、日坂の登り坂だ。
広重の絵で急坂に描かれているのだけど、確かに結構急な坂。
写真だと急な雰囲気とか大変さが撮りづらい。 ここが舗装もされていない時代だと結構大変だったろうと思われ、お茶畑の作業している軽トラックも悲鳴を上げながら登っている。
そして茶畑のに挟まれた坂を登って行くと、上にも茶畑が広がる。 茶の文字も大きく見える。
ここは小夜の中山と呼ばれる所らしい。
一里塚跡。
鎧塚
鎧塚って、戦いのあった場所とかで、鎧とか武器を葬った場所とか書いてある所があるけど、ここはどんな歴史があるのかなぁ。
そこから進むと妊婦の墓
涼み松広場
夜泣き石跡
そこから茶畑の間を進んでいくと下り坂に。
七曲りの下り坂なのだけど、相当きつい。 普通の車では下りたくない程度にきつい曲がりと下りだ。
下りきって一号線を渡ると日坂宿。 やっと今日の坂シリーズも終わった(笑)。 結構足腰にダメージが・・・。 しかし、七曲りを下る途中で追い抜いていった方も結構年上だとは思うのだけど、私達よりも相当早いペースで進んでいった。 多分東海道ウオーカーの人だとは思うのだけど。
本陣跡
公園になっていて、ゲートボールされていた。
川坂屋
綺麗に残っている。
綺麗に掃除されていて雰囲気を良く味わえる。
高札跡
日坂宿を抜けた所にある八幡宮
事任神社とかいう所らしい、結構良い雰囲気でパワースポットっぽい感じの雰囲気だ。
この大木が良い感じだ。 大木って歴史を見てきたのだろうなぁと思うとちょっと感慨深い。
そのまま1号線をまたいで、進むと一里塚跡。
その後は特にイベントも無く、4km歩いて掛川宿前の逆川を渡った所に一里塚
一里塚を過ぎると掛川宿。
この掛川宿の入り口は七曲りになっていて、ちょっと迷いやすい。
実際少し真っ直ぐいって迷った(笑)。
なんとか七曲りを抜けて掛川宿に入ると、掛川城がある。
大手門
掛川城
掛川宿の本陣跡
今は駐車場だ。
本陣跡を過ぎた辺りで昼食を摂る事に
今日はうなぎだ!!!!
うっひょ~、美味しい。
お昼を食べて少しダメージを回復したところで再開。
一里塚跡
掛川を過ぎて、袋井に入る手前は松林が続いている。
名栗の花茣蓙公園で一休み
このあやしい格好で歩いてます。
袋井宿に入る手前で一里塚
小学校前にコンパクトに復元されていて良い感じだ。
袋井宿は東海道五十三次の真ん中の宿にあたるので、どまん中を売りにしているらしく、どまん中茶屋。
本陣跡
袋井宿を越え、木原にある一里塚跡。
木原には古戦場跡があって、徳川軍の斥候と武田軍が戦った跡が
三方原の戦いの前哨戦で有名とか。 いやぁ、歴史を知らないってダメだなぁと。 一緒に歩いているおじさんに色々教えてもらい勉強になる。 漢字の読み間違いが多いので、そのたびに教えてもらえるのがありがたい(笑)。
太田川を越える。
太田川を越えた所でまた登り坂が・・・
足腰が結構きているなぁ・・・。 今回は最初の菊川坂と日坂からのダメージが結構大きい(笑)。
坂を登りきり、1号線を超えると見附宿の手前にある一里塚を見る為に神社の階段を登る・・・
この階段も相当きつく感じる・・・
一里塚跡
見附宿に入ると本陣跡
あまり大切にされていない(笑)
本陣跡の隣には現存する日本最古の小学校の建物。
門と休憩所
木戸跡
磐田駅まで歩いて終了。
最後の方は、結構疲れていたなぁ・・・
歩行距離は34.9km程。
前回よりもダメージが多い感じだ。
帰りは新東名を通ったのだけど、結構混んでいる感じなのと、運転が変な人が多くて疲れた。
次回は磐田駅から舞阪駅辺りか弁天島か。 とりあえず浜名湖のほとり辺りまで歩きたいかなぁ。 浜名湖を過ぎたら泊りにしようかとも考えてます。
御殿場で初めて新東名に乗ってみる。 確かに今までの東名と比べて走りやすい。 新しい道路にしては、ちょっとピッチングが多い気もしたけど。
1時間半程で島田金谷を降りて、金谷駅の近くに一つだけある駐車場へ車を停める。
金谷駅のガード前にある一里塚から出発。
ガード下をくぐる。
くぐってから少し歩くと石畳の入り口に。
この石畳は結構良い感じの雰囲気だ。
ここの石畳は滑りづらいとの事で、すべらず蔵がある。 受験とかのお願いが出来るらしい。
石畳を登っていくのだけど、そこそこきつくて、すでに汗だくだ。
石畳を登ると今度は下りの石畳。
この菊川坂の入り口右側を見ると「茶」の文字が。
そこから菊川坂を下る。
この丸い石が膝と足首に結構なダメージを与える(笑)。
春らしく石の間から草が伸びている。 ほっておかれたら数年経てば埋もれちゃうのかな。
菊川坂を降りていくと、間の宿、菊川がある。
間の宿にしては結構綺麗にされている感じで良い雰囲気だ。
菊川を通り過ぎると、今日第二の坂、日坂の登り坂だ。
広重の絵で急坂に描かれているのだけど、確かに結構急な坂。
写真だと急な雰囲気とか大変さが撮りづらい。 ここが舗装もされていない時代だと結構大変だったろうと思われ、お茶畑の作業している軽トラックも悲鳴を上げながら登っている。
そして茶畑のに挟まれた坂を登って行くと、上にも茶畑が広がる。 茶の文字も大きく見える。
ここは小夜の中山と呼ばれる所らしい。
一里塚跡。
鎧塚
鎧塚って、戦いのあった場所とかで、鎧とか武器を葬った場所とか書いてある所があるけど、ここはどんな歴史があるのかなぁ。
そこから進むと妊婦の墓
涼み松広場
夜泣き石跡
そこから茶畑の間を進んでいくと下り坂に。
七曲りの下り坂なのだけど、相当きつい。 普通の車では下りたくない程度にきつい曲がりと下りだ。
下りきって一号線を渡ると日坂宿。 やっと今日の坂シリーズも終わった(笑)。 結構足腰にダメージが・・・。 しかし、七曲りを下る途中で追い抜いていった方も結構年上だとは思うのだけど、私達よりも相当早いペースで進んでいった。 多分東海道ウオーカーの人だとは思うのだけど。
本陣跡
公園になっていて、ゲートボールされていた。
川坂屋
綺麗に残っている。
綺麗に掃除されていて雰囲気を良く味わえる。
高札跡
日坂宿を抜けた所にある八幡宮
事任神社とかいう所らしい、結構良い雰囲気でパワースポットっぽい感じの雰囲気だ。
この大木が良い感じだ。 大木って歴史を見てきたのだろうなぁと思うとちょっと感慨深い。
そのまま1号線をまたいで、進むと一里塚跡。
その後は特にイベントも無く、4km歩いて掛川宿前の逆川を渡った所に一里塚
一里塚を過ぎると掛川宿。
この掛川宿の入り口は七曲りになっていて、ちょっと迷いやすい。
実際少し真っ直ぐいって迷った(笑)。
なんとか七曲りを抜けて掛川宿に入ると、掛川城がある。
大手門
掛川城
掛川宿の本陣跡
今は駐車場だ。
本陣跡を過ぎた辺りで昼食を摂る事に
今日はうなぎだ!!!!
うっひょ~、美味しい。
お昼を食べて少しダメージを回復したところで再開。
一里塚跡
掛川を過ぎて、袋井に入る手前は松林が続いている。
名栗の花茣蓙公園で一休み
このあやしい格好で歩いてます。
袋井宿に入る手前で一里塚
小学校前にコンパクトに復元されていて良い感じだ。
袋井宿は東海道五十三次の真ん中の宿にあたるので、どまん中を売りにしているらしく、どまん中茶屋。
本陣跡
袋井宿を越え、木原にある一里塚跡。
木原には古戦場跡があって、徳川軍の斥候と武田軍が戦った跡が
三方原の戦いの前哨戦で有名とか。 いやぁ、歴史を知らないってダメだなぁと。 一緒に歩いているおじさんに色々教えてもらい勉強になる。 漢字の読み間違いが多いので、そのたびに教えてもらえるのがありがたい(笑)。
太田川を越える。
太田川を越えた所でまた登り坂が・・・
足腰が結構きているなぁ・・・。 今回は最初の菊川坂と日坂からのダメージが結構大きい(笑)。
坂を登りきり、1号線を超えると見附宿の手前にある一里塚を見る為に神社の階段を登る・・・
この階段も相当きつく感じる・・・
一里塚跡
見附宿に入ると本陣跡
あまり大切にされていない(笑)
本陣跡の隣には現存する日本最古の小学校の建物。
門と休憩所
木戸跡
磐田駅まで歩いて終了。
最後の方は、結構疲れていたなぁ・・・
歩行距離は34.9km程。
前回よりもダメージが多い感じだ。
帰りは新東名を通ったのだけど、結構混んでいる感じなのと、運転が変な人が多くて疲れた。
次回は磐田駅から舞阪駅辺りか弁天島か。 とりあえず浜名湖のほとり辺りまで歩きたいかなぁ。 浜名湖を過ぎたら泊りにしようかとも考えてます。
2012-05-14 22:15
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0